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2019.04.25 Thu
■ ポルシェの軌跡 日記
その鮨屋は杉並区高井戸の環八通りをちょっと入った場所で開業していた。

鮨屋の名は「ほこすし」(漢字を忘れたが確か鉾寿司だったと思う)だと記憶がある。

親のツテか何かで丁稚の募集を知り16歳のオレはこの鮨屋に勤めることになった。

原付バイクの免許も取得しておりバイクで出前もできる小僧と知り、

先方も好意的にオレを迎えてくれた。

朝昼晩の3食付で住込み用の部屋も提供してくれた。

ただし給料は手取りで3万6千円だ。

朝早く河岸へ仕入の同行〜昼の仕込み〜出前〜夜の皿洗いと、

午後3時から5時までの2時間の休憩以外は、朝5時から夜11時まで殆ど自由時間は無かったので、

手取り3万6千円の月給でもそれほど不自由はなかった。

住む場所代も食費もかからないので給料を遣うのはもっぱら単行本を買うことくらいであった。

このころは大藪晴彦氏著書の和製ハードボイルド小説にハマっていて昼の休憩時間と就寝前には没頭して読みふけっていた。

ちなみに余談であるが、大藪晴彦氏の自宅が、オレが出前をしていた地域内に所在していたということはその時には知らなかった。

ひょっとすると大藪宅にも出前で寿司を届けていたかもしれない。



休みの日には映画にも行けた。

ある映画館では入場するとペンダントのクジをやっていて引くと必ず大当りが出る。オレくらいラッキーな奴はいないと思った。

引くたびに必ず大当りだ。

ケネディ大統領の顔が画いてあるメダルやクラシックカーの形をしたメダルが当たるのだ。

ただし、そのメダルを首から吊るすのにはチェーンが必要になる。

チェーンはクジではないので当然有料である。確か3000円であった。

オレはもちろんこのチェーンを購入して素敵なラッキーペンダントを完成させた。

そのペンダントの数は瞬く間に5本に達した。(さすがに馬鹿なオレでも6回目の大当りではそれに気づきチェーンは購入しなかった。)


そんなわけで月給3万6千円でも日々腹いっぱいの美味い飯が食え、雨風をしのげる自分の城もあり、好きな単行本も楽しめ、時には映画も観て、ラッキーなペンダントまでも所有できる。

そんな暮らしになんの不自由もなく、いや逆に、優雅な暮らしを満喫していたと思っていた。


そんな青春時代を謳歌していたその鮨屋に週3回は来る馴染の客がいた。

必ず一人で来てカウンターの真ん中に座りゆったりと寿司をつまむのだ。

週3回くるこの客を見てオレは「どんだけ寿司が好きなんだ?」「一人で来ているんだからもっと隅に座ればいいのに」と思ったものだ。


そのロマンスグレーの紳士然とした、必ずカウンターの真ん中に座る客は、いつもピカピカの白いスポーツカーでやってきた。

そのスポーツカーの排気音がガラガラガラという独特な音なので、来るとすぐにその客だと分かった。

顔がカエルのスポーツカーだ。

オレはこのカエル顔のスポーツカーはあまり好きではなかった。

当時、オレが好きなスポーツカーはデ・トマソ・パンティーラだった。

この、ちっこくてカエル顔のスポーツカー(はたしてスポーツカーと呼べるのすらも分からない)と比べると、デ・トマソ・パンティーラこそが威厳があり、風格があり、その美しいディテールには芸術品のようなオーラをも感じていた。


ある日、出前から戻ると、真ん中に座る客がカエルスポーツカーで帰るところだった。

オレは軽く会釈をして、たまにはオベンチャラでも使えば小遣いくらいはくれるだろうと思い心にもない言葉を発してしまった。


「かっこいいですね!このスポーツカー、ドイツのポルシェですよね?ボクもいつかは乗ってみたいです!」

たいして乗りたくもなかったのだが、ついそんな言葉がでてしまった。

カエルスポーツカーの紳士は「おにいさん、ポルシェ知っているの?横に乗る?」

オレはその問いになにも答えずにいるのに店の扉を開け板場の親父さんに「マスター、ちょっとおにいさん借りるよ!一回りしてくるから!」と勝手に親父さんの了解をとりオレを横に乗せて走り出した。


夜10時近い環状8号線は車もまばらですいていた。

エンジン音が後ろから聴こえてくる。

エンジンと室内になにも遮断するものがないような物凄い轟音だ。

紳士がいきなりアクセルを踏み込む。

グワッと後ろが沈む。

ゴジラに後ろから蹴飛ばされたかのような衝撃がやってくる。

紳士がギヤを変える。また後ろが沈み衝撃がくる。

オレの体はシートにのめりこんだままなにも出来ない。

頭がかぁーっと真っ白になりなにも考えられない。

ただひたすら後ろにすっ飛んでいく環状8号線の路面が目に映るだけだ。

紳士は言う。

このポルシェはカレラといって特別に速いポルシェなんだよ。

どこをどのように走ったのだろう。

どのくらいの時間を走ったのだろう。

頭がクラクラしたまま店に帰還すると紳士は帰り際に

「ポルシェっていいよ。いつかキミも乗ってください」とニコっと微笑んだ。


その白く、低く、小さく、後ろにダックテールと呼ばれるスポイラーが装備された「特別に速いポルシェ」と聞かされたポルシェが、1973年製の「カレラRS」だと知ったのは、クルマ雑誌をむさぼり読むようになってから、まもなくだった。


鮨屋は勤めてわずか半年程度で辞めてしまった。

しかし、あの日以来、オレの気持ちはデ・トマソ・パンティーラから白いポルシェに変わっていた。

そして…

ポルシェっていいよ。いつかキミも乗ってください。

その言葉は、その後のオレの人生の大きな道標にもなった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



数十年後…


2014年初秋。



オレはポルシェディラーで「特別に速いポルシェ」の前で納車祝いの花を贈られていた。


その白色の特別に速いポルシェの名はGT3と呼ばれた。


ロマンスグレーの紳士が強烈な加速でオレを驚かせた1973年製カレラRSの直系である。


時は経ち、形や名はかわれども、RSの血は間違いなくGT3にひきつがれている。


納車式は終わり、キーを受け取り、ディラーに手を振ってから、



オレはあの想い出の環状8号線に向けGT3を走らせた。






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